死生観?私の身内話。
今回は私のプライベートな事情のお話のため、
不謹慎に映ったり、不快に思われたりするかも?という
センチメンタルな発想は一度しています、と先に書いておく。笑
特に身近な生死を最近経験された方とか、
感傷的になっている場合はご遠慮いただく方がよいかと・・
では、いつも以上にこちら↓を踏まえていただいて。
「私はこう思う」ということを書いていますよ~!
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唐突だが、身内の弔事が続いている(現在進行形)
一人の葬儀納骨忌日法要がひととおり終わったと思うと
次の人が突然危篤や入院になり・・というペースで
去年の冬からずっと喪中の雰囲気が続く。
元々、私の生まれた家系は健康長寿が多い。
そして、みんな、生にとくに固執していないのが特徴。
(これが長寿の秘訣か?と思ったりもする)
○○歳で死ぬと思ってて、できればあの病で、という様な事を
深刻ぶるでもなく日常会話としてするし、
老後の生活やお金の計画についても教えてくれる。
まぁ、そのあたり計画通りにいくのは難しいのだなと
今回の一連を見ていてとても勉強になった。
なにせ全員「生命力が強い」。。。
数年寝たきりだったり突然倒れたり
床にふせるキッカケは様々なのだけど、
まーーそこから、見事な生き続き(?)っぷり。
医療従事者じゃないので他のケースは知らないが、
主治医から「もういつどうなってもおかしくありません」と
はっきり宣告されてからがむしろスタートなの?と思うくらい、そこからが長い。
最初は家族の心の準備のために
早め早めで伝えているのかと思っていたけど、
お医者さん側ですら
「思いのほか長期戦になっているので・・」
と漏らしたほどなので、やはり心臓が強いのだろう。
そこそこで死にたいわ~♪という
当人たちの希望とは裏腹に、細く長くの典型をいっている。
看病している親戚たちは
「いま本人が目を覚ましたら
〔まだこっち側か、あんた達しっかりやって(送って)もらわんと〕
って絶対怒られるわ(苦笑)」と言っていた。
と、ここまで読んでくださった方は
私の感情部分が見えないと思うのだけれど、
どうも私は上の世代が亡くなっていくのに哀しみを感じにくい。
親族中お悔やみムードが続くなか
「長寿になればなるほど、死期が重なる可能性は高くなる」
なんて冷静な発見をしてみたり。
誤解されると嫌なので一応書いておくと、
生まれた時からいる人がいなくなる・・ことに対して
寂しいな、もう生身で会えないな、と 気持ちが沈むことはある。
ただ、それは私が自分の心と折り合いをつける話で、
ここでも事実と感情は別なのだ。
上の世代との年齢差を考えると、
明らかに私より先に死ぬ確率の方がはるかに高い。
しかも平均寿命と最高齢を考えると遠くない未来の内に。
乱暴な言い方をすると"順当に"亡くなっていくわけで、
そういう流れを日頃から考えたりするから特別動じないのかもしれない。
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樹木希林さんの忌報が流れてきたとき、
そういえば空気感が祖母によく似ていると思った。
なんか、生きるも死ぬも日常の延長線上で
生活サイクルのうちのひとつ、と捉えてるように感じるのだよな~
素敵な生き方だなって。
そんな長いつぶやき。